諺から見る日韓の情緒の差
まったく同じ意味ですが日本では『門』が使われ、
福が個人としてくるのではなく『門』の意味の『一族』『一家』に来ると指しています。
実はここに日韓の大きな情緒の差があります。
日本では「家」を絶やさないため、また「家業」を継続するため、
婿養子などの養子制度が盛んに行われて来ました。
血のつながりがなくとも可という日本的伝統は、
血のつながりを重視する韓国社会と違う両国の文化と国民性が生まれた
一つの原因だと思います。
日本人は自分の代で「家」と「家業」を絶やすことは
人間として『恥』と『無責任感』と思い、
また悠久な時間の流れで自分はこの家をつなげる一人のランナーとして
個人の幸せより家と子孫が末永く栄える事を願っていたのです。
このような違う文化が両国の諺にも表れていると思います。
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